NPO法人:まげんdeネット・みやぎのblog

3・11東日本大震災で被災した宮城県女川町の離島 出島(いづしま)にある女川町立女川第2中学校全生徒13名の支援プロジェクト」と山元町鍼灸プロジェクトのブログです。 「まげんdeネット」は宮城地方の方言で「負げんでねぇっど!(負けんじゃないよ!)」と人とのつながり「ネットワーク」を合わせた造語です。 背景は出島の遠景

旧女川2中最後の4名が高校を卒業しました。


3・11東日本大震災から6年が経ちました。当時、女川町の離島出島(いづしま)にあった女川町立第2中学校の13名の生徒たちは、着の身着のまま状態で本町の中学校へ全学避難しました。結局、母校は廃校となり、現在に至りました。今春、最後の4名がそれぞれの高校を卒業し、大学への進学や就職へと新しい人生の一歩を歩み始めました。高校を卒業した旧女川2中最後の4名から、支援していただいた全国の皆さんへ感謝のメッセージが届きましたので紹介いたします。

多くの支援ありがとうございました。ありがとうございました

勉強面ではこの1年でパソコン関係の資格で1級を3つも取得することができました。部活面では、演劇部として3年間活動し、今年もコンクールの地区大会で結果を残し県大会へ進むことが出来ました。

部活引退した今でも基礎練習でやったストレッチや筋トレは続けています。

 今年の4月からは埼玉の大学に進学します。指定校推薦で合格したので、授業に遅れを取らないように勉強に力を入れ、学校生活では新しいことにも積極的に挑戦していきたいと思います。 
木村 夏海

 

これまでに沢山の支援をしてくださった皆様 本当にありがとうございました。

あれから6年が経ちました。本当にはやく時間が過ぎ驚きます。

 高校に入ってやっぱり海が気になるのか、水産高校に入学しました。

高校1年、2年の時は学校生活に慣れるまで時間がかかり、将来のことをあまり考えていませんでした。

3年生になってからは3ヵ月の海洋実習でハワイに行ってきました。船での実習はとても充実したものになりました。

そして卒業したら就職し、貨物船に乗ります。学校での海洋実習で船の仕事に興味を持ち、貨物船に就職することにしました。仕事に慣れるまで時間がかかると思いますが、頑張りたいと思います。

学校を卒業でき、就職が決まったのも全国の人たちの支援のおかげです。本当に感謝しています。
ありがとうございました。  須田 和樹

 


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           旧女川2中の13名の生徒たち。
前列右より2人目から順に須田和樹・須田美紀・木村夏海・須田弘樹君(2011年クリスマス会での集合写真)

 今月11日であの大震災から6年が経とうとしています。当時小学6年生だった私も先日、3年間通い続けた石巻好文館を卒業しました。無事に卒業できたのも、家族、先生方、仲間、そして今日まで支援を続けてくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。高校では特に部活動に精力的に取り組みました。部活動を通して経験したこと、学んだこと、出会った仲間をこれからも大切にしていきたいと思います。私はまだ具体的な夢は決まっていませんが、将来少しでも地域のために貢献したいと考えています。その為、ビジネスを学ぶことのできる短大に進むことに決めました。少しでも早く就職し、自立することで今日まで育ててくれた両親だけでなく、支援をしてくださった全国の皆さんに遠い形ではありますが恩返しができると考えています。これからの復興は私たち若い世代が担っていくことが必要です。これからも学業に専念し、将来少しでも地域の力になれるよう頑張っていきたいと思います。

須田 美紀

全国の支援者の皆様、長い間のご支援本当にありがとうございました。自分はこの春、高校を卒業して漁師になり家族と共に働くことになりました。宮城水産高校で学んだこ事を生かして頑張る決意です。これまでの学校生活は皆様の支援のおかげで楽しくすぐすことができました。感謝と共に今までご支援いただきありがとうございます。 

こちらにおいでの際は是非、声をかけてください。自分が獲った女川のおいしい魚でおもてなしいたします。      
平成29年3月10日  須田 弘喜

    被災地女川から全国に元気を届ける
  「おながわ・しあわせの黄色いポスト」プロジェクト
   
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詳細はhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-postをクリックしてください。)



サクラ公園にピザ釜を作り始めました。その②と黄色いポスト

 今日から3月。学生さんにとっては卒業を迎える季節です。
そして、間もなく3・11も満6年を迎えます。 
昨年10月からはじめた「ピザ釜作り」も、本格的に再開しようと考えています。
 (おながわ・しあわせの黄色いポストの詳細は
 https://readyfor.jp/projects/kiiroi-postをクリックしてください。)



 実は、冬の間もすべての作業を休んでいたわけではなく、穏やかな天気の日を選んで、少しずつ作業を進めてきていました。

昨年12月23日には「桜守りの会」のメンバーと柱材にする杉の間伐材の皮むき作業を行い、四方に柱を立てる作業を行いました。
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小春日和の中、杉材の皮むき作業です。

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大地に穴を掘り、4本の柱を固定するコンクリートが固まるまで仮止めで柱を立てました。
2016年の作業はここまで。

2017年2月の作業は、四辺の柱の強度補強と屋根掛け、上部の「壁面」作りから再開です。
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開放感を残すために板壁は上部のみにしました。

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素人作業ながら、結構うまく収まったと「自画自賛」しています。

 いよいよ3月からはピザ釜本体の煉瓦積み作業に入ります。4月の桜が咲くころにはピザ釜完成の「火入れ式」とピザパーティーを考えています。今から楽しみです。

「おながわ・しあわせの黄色いポスト」への資金協力をお願いします。

 女川町の復興商店街「シーパルピア女川」のれんが道に「おながわ・しあわせの黄色いポスト」を設置するプロジェクトの資金協力をクラウドファンディングを通してお願いしています。目標金額は100万円です。厚かましいお願いですがご協力をお願いいたします。
詳細はhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-post  を参照ください。

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黄色く塗装したポストが女川町に設置されます。

「おながわ・しあわせの黄色いポスト」プロジェクトがスタートします。

 3・11東日本大震災6周年を迎える今春、「女川町は元気だよ『しあわせの黄色いポスト』から全国へ届け!」という想いを込めて新しい支援プロジェクトを立ち上げました。
    (詳細はhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-postをクリックしてください。)
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  (詳細はhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-postをクリックしてください。)
 早いもので3・11から来月で6年を迎えます。そのためではないけれど、新しいプロジェクトがスタートします。
その名も「おながわ・しあわせの黄色いポスト」。
復興に力を尽くしている被災地女川のあたらしい商店街「シーパルピア女川」のメイン通りに設置するプロジェクトです。
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   錆び止めの下地を塗り、黄色に2回塗りして塗装の完成です。

 何で「黄色なの?」か。黄色は「しあわせの色」と言われ、健さんの映画「しあわせの黄色いハンカチ」でのラストシーンが印象的でした。
被災地でも復興を目指す人々がシンボルとして地域に「黄色いハンカチ」を掲げて復興に奮闘しているところもあります。
「黄色いポスト」設置予定の場所は、JR石巻線の終着駅である女川駅から東へ延びる「シーパルピア女川」のレンガみちの最東端に5月末にオープンする「女川観光案内所」敷地内です。
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     JR女川駅から「女川シーパルピア商店街   
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       「シーパルピア商店街」イラストマップ

  (詳細はhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-postをクリックしてください。)

中央のレンガみちを海側に進み、国道に出る手前の右側のところに設置の予定です。 ポストと一緒に「きぼうの鐘」も設置されます。「きぼうの鐘」は、旧女川駅前に設置されていた「からくり時計」に組み込まれていた4個の鐘のうち、1個だけガレキの中から見つけ出された鐘で、仮設商店街に「きぼうの鐘」として設置され、それにちなんで仮設商店街の名称も「きぼうのかね商店街」と名付けられました。
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             きぼうの鐘
 「しあわせの黄色いポスト」は、復興を願い、日々奮闘している女川の皆さんや女川町を訪れる皆さんのシンボルの一つになれることを願っています。「黄色いポスト」から絵はがきなどを投函すれば希望が、夢が、そして愛が叶うことを願っています。

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     プロジェクトのシンボルともいえる女川スペインタイル製タイルプレートを作りました
  (詳細はhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-postをクリックしてください。)

「おながわ・しあわせの黄色いポスト」からメッセージを送ると願いが叶う、思いを寄せる大切な人に「想いが伝わった」という「都市伝説」になれるよう育てていきたいと思っています。

2月27日からクラウドファンディングが公開されます。

 クラウドファンディングで全国に「おながわ・しあわせの黄色いポスト」プロジェクトを紹介し、資金面での協力が得られることを願っています。「おながわ・しあわせの黄色いポスト」が成功できますよう多くの皆さんのご協力をお願いします。
クラウドファンディングのURLはhttps://readyfor.jp/projects/kiiroi-postです。
資金の支援額は3千円からできます。多くの皆さんのご協力をお願いしますとともに、知人・友人への紹介もよろしくお願いします。

女川町奥清水の「桜公園」にピザ釜作りはじめました。

煉瓦造りのピザ釜を造っています。

 女川町・奥地水地区の山間部にある「桜公園」内に、耐火煉瓦造りのピザ釜を造り始めています。
当初の予定ではプーさんの第3農園内に造る予定でしたが、第3農園から小さな尾根を一つ北側に車で3分ほどのところの桜公園に作ることになりました。
桜公園は、震災後の女川町内にさくらの植樹を続けている「女川桜守り会」のベースになっている手作りの公園で、植樹を待つ桜の苗木などを養生しているところでもあります。
ピザ釜づくりの作業は10月下旬に基礎作りからはじめています。
「桜守り会」の藤中さんとピザ釜の位置を決めてから、基礎のコンクリートを打つための木枠を作り、すぐ近くの沢から適当な大きさの石を拾って来て敷き詰めました。
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沢にはたくさんの石があるので、選ぶ苦労はありません。
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基礎ののコンクリートを打ち固めました。
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基礎の上にブロックを3段積み重ねます。
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手前側のブロック積みを間違えて10センチ外側に膨れてしまったのと、手前に来る袖の部分のが設計と違うものになってしまった。何とも斬新なデザインです。
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敷き詰めたコンクリートブロックに、釜本体となる耐火煉瓦を積んでいきます。
が、その前に、基礎の周りに間伐材の柱を立て、12月中に屋根をかける計画です。
煉瓦積みは来年からの作業となります。
来春、桜の咲くころまでには完成させて、花見をしながらの屋外ピザパーティーを楽しみにしています。



今年も出島にクリスマスイルミネーションが点灯しました。

今年も出島にクリスマスイルミネーションが点灯しました

 今年もはや12月。今年のイルミネーションは高さ180センチほどのオベリスクに新型ソーラー発電LEDイルミネーションを飾り付けました。
今回は4名での訪問です。お土産の山形りんご7箱を用意し、午前10時過ぎに尾浦漁港から迎えの船に乗船して出島に渡り、あいさつもそこそこに、早速、島のお母ちゃんたちとオベリスクを組み立てました。
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出島地区の集会所で組み立て作業中です。
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今年のイルミネーションは園芸用のオベリスクをツリーに見立てて利用します。
オリベクスが組み立てられたら、次はイルミネーションの巻き付け作業ですが、今年はLEDが200個から300個の物を用意したので、長いコードがこんがらがったり(宮城の方言では”もじゃぐれる”と言います)しながら、ワイワイと楽しい作業となりました。
  年々LEDの性能とバッテリーが改善されて、発電パネルも小さくなり、中のリチウム電池も単3型電池1個になっています。今年のメインは”単色”です。ブルーを中心にグリーン、ピンク、イエローと、昨年まで使っていたミックスも飾りました。オベリスクは計11本用意しました。
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午前中で飾り付けの作業が終了し、昼食後に、7本を出島復興住宅団地の公園と団地の入口に設置し、4本を寺間地区の復興団地に設置しました。
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出島地区復興住宅団地公園のイルミネーションです。
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 現在の出島の全戸数は寺間地区で21戸、出島地区で24戸の計45戸だそうで住民数も70名程度です。震災前と比べると個数は5分の1になってしまったそうです。島の人口減少は深刻な状態です。

台風10号豪雨被災の岩泉町へご支援を(改訂版)


台風10号豪雨被災地の岩泉町に少しばかりの支援物資を送りました。



 9月23日(金)付に地元の河北新報に、「台風10号の豪雨で被災した皆さんが、朝晩の冷え込みが強まり始めたために冬物衣類の支援を求めています。」という記事が掲載されました。週明けの26日に岩泉ボランティアセンターへ℡をしまして、必要な支援物資等の問い合わせをしましたが、「こちらはボランティアの受付で、支援物資の受付窓口は町教育委員会になっています。」ということでした。改めて岩泉町教育委員会物資担当に℡しなおしまして、必要としている支援物資のことを伺いました。「豪雨被災者の多くは高齢者が多いので、これから冬に向かって寒くなりますので、できれば『ももひき』と『毛布』のご支援があればありがたいです。」ということでした。普段に着る服等は全国から送られてきているようですが、「防寒着・暖房器具・毛布」が不足しているようです。
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早速、衣料店に出かけて毛布とズボン下を購入し、大きめの段ボール2個口にして送りました。
送った支援物資は
①毛布6枚 ②2枚組男性用・女性用ズボン下(各M6・L3・LL1)計20セット です。
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今回送ったのは本当にわずかな量でしたが、今後も現地の要望を聞きながら、毛布等を中心にできるだけの支援を考えております。

新聞はじめ各種のマスコミは被災した家屋の表側だけの報道しかしていないようです。ボランティアとして被災した個々人の家屋のドロ出し作業等に携わっている皆さんの生の声はもっともっと深刻な被害の状況を伝えてくれています。特に深刻なのは、泥水が1階部分に押し寄せてきたお宅は大量のドロ掻き作業に追われ、壁一面に発生したカビとその匂いに悩まされています。、被害を免れた2階で生活を余儀なくされた被災者は、壁や床等の修復もままにならないまま、これから寒さも増す季節を迎えようとしています。

最近の女川町のちょっと明るい2つの話題

その1、今年も女川町で「おながわ秋刀魚収穫祭2016」が開催されました。

 9月25日の日曜日、女川町復興商店街周辺で「秋刀魚収穫祭」が開催され、朝早くからたくさんの人々が訪れ、大賑わいの一日になったようです。
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(9/26河北新報)

その2、女川町を拠点としているサッカーチームが「社会人サッカー1部リーグ」で優勝しました。
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ゆくゆくはJFLへ、そしてJ3・J2へ上がっておいで!!J1も夢じゃないぞ!!

五右衛門風呂プロジェクトコンプリート

♨1年2ケ月を経て露天五右衛門風呂「羆乃湯(ひぐまのゆ)」が完成しました。♨

昨年6月に五右衛門風呂プロジェクトをスタートさせて以来、平均で月1~2回程度の作業を続けて1年2か月ほどの日数をかけて8月上旬に完了しました。
五右衛門風呂完成までの連続写真をご覧ください。

①完成イメージイラスト
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②基礎造り作業
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③コンクリートを流しこんで基礎造り完了
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④耐火煉瓦を積んで火口の作業その1
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⑤火口作業その2
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⑥火口ができて風呂釜の設置と外周の煉瓦積み
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⑦外周の煉瓦と石積みその1
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⑧その2
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⑨試験点火して火の回り具合を確認
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⑩五右衛門風呂本体の完成
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⑪目隠しの板塀取り付け作業その1
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⑫同上その2
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⑬屋根も取り付けて完成
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⑭戸には内鍵も取り付けた
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⑮沢から引いた天然水の水道
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⑯荷物置きの棚も2か所造りました
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完成した露天五右衛門風呂は誰でも利用できます。仮設住宅や復興住宅で生活する女川町民の皆さん、ボランティアで女川訪れた皆さんも自由に露天五右衛門風呂を楽しんでください。

女川の高校生たちが「いのちの教科書」編纂と「いのちの石碑」を設置

 2011年の東日本大震災当時、中学校に入学したばかりの生徒たちが6年目の年を経て高校3年生になり、津波の記憶を心に刻み、津波から身を守るために「いのちの教科書」の編纂と「いのちの石碑」を新たに3基を女川町内に設置しました。

 「いのちの教科書」は、震災当時女川中学校に入学した生徒たちが授業で津波のことを考え続け、その中から「小学1年生から学べる教科書を作ろう」ということになり、高校に進学した後も10人ほどが中心になって話し合いを続け、このたび「教科書」が形になりました。「教科書」はこの5年間に「経験」し、「学び」、「考え」た内容を84ページにまとめ、月命日にあたる8月11日に発表会を開いて「いのちの教科書」を紹介しました。しかし、この「いのちの教科書」はまだ未完成です。教科書はこれから「理科(津波のメカニズム)」、「保健体育(心肺蘇生法)」や「心理学」などの教科はこれかの課題のようです。これから彼女・彼らの取り組みに注目していきたいと思います。
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 同日、女川中学校の卒業生たちでつくる「女川1000年後のいのちを守る会」が、津波の到達地点を後世の人々に知らせる「女川いのちの石碑」を、女川町沖合にある江の島をはじめ3か所に設置し、除幕式を行いました。石碑は女川町内の21か所の浜に設置予定で、あと9基の設置を目指しています。
今から1150年ほど前の貞観11年5月26日(西暦869年7月9日)に発生した大地震に伴う大津波は、県内陸深くまで到達し、甚大な被害を被りました。世にいうところの「貞観大地震」と言われるものですが、貞観大地震を経験した人々は、津波が到達した地点に石碑を立てたり、「浪分(なみわけ)神社」と呼ばれる社を建てたりして、津波の恐ろしさを後世の人々に警告を残していてくれました。しかし、現代に生きる私たちは先人の警告をすっかり忘れ、「こんなところまで津波が来るわけが無い」と思い込み、大きな被害を被ってしまいました。人知を集め、科学の力をもってしても地震とそれに伴う津波そのものの発生を抑え込むことがことができない以上、私達が経験した被害を後世の人々に伝えることはとても大事なことであると思います。「いのちを守る会」の彼女・彼らの想いは1000年後の人々たちに津波の到達地点を伝え、「命を守るためにこの石碑の上まで逃げてください」と刻んでいます。、再び大勢の犠牲者が出ないように願う石碑は1000年後まで生き続けることでしょう。また。それを願っています。
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熊本地震からひと月、現地熊本へ行ってきました。

 4月14・16日の2度にわたって大きな地震に見舞われた熊本県へ、心ばかりの支援物資を届けに仙台から2名、兵庫県尼崎市から1名の3名で、21日から2泊3日の日程で出かけてきました。
支援物資の届け先は、此度の地震を契機に立ち上げられた「RQ九州美里」という団体です。「RQ九州」は、5年前の東日本大震災の時に宮城県内陸部の登米市に「RQ登米」が立ち上げられて、被災者の救援活動をした流れにできた団体です。九州の他では茨城県と広島県で活動しているようです。
私達は今後も「RQ九州」の皆さんと協力しながら、5年前の山元町・女川町の経験を生かし、連日の余震に不安夜を過ごしながら、命と生活を守る活動を続けている熊本の人々に、少しでも寄り添えることができればと考えています。
なお、「RQ九州」の活動詳細についてはホームページ
(http://kyushy.rq-center.jp/volunteer)
をごらください。

 5年前に女川町・出島の被災地に送った2台の軽トラックは予想以上の活躍をしました。ガレキの片づけや荷物の移動、ボランティアたちの移動手段として2年近く活躍しました。此度の熊本地震でもガレキの片づけなどに軽トラックは必需品ではありますが、被災者の多くは農業に従事しています。日常的に軽トラックを使ってはいても農作業に使用されていて、いつでもボランティアたちの作業に使用される訳でもないので、「RQ九州」で活動するボランティアの皆さんも車のやりくりに苦労されていたそうです。今回の軽トラックの寄贈は需要に合った支援と思っています。
 軽トラックには女川中学校生徒会の10名が全生徒を代表して激励のメッセージを書いてくれました。また、5年にわたって支援金の協力を続けてくれている「ジャンジャングループ」の「♡くまもん一緒にがんばろう」というステッカーをはじめ、全国から支援金の協力をいただいた皆さんの名前、宮城県のゆるキャラ「むすびまる」もしっかりと書き込みました。


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軽トラックに激励メッセージを書き込む女川中学校の生徒会10名
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       RQ九州美里町事務所前で軽トラックの引き渡し(5/21)

 21日は朝7時35分発の飛行機で福岡空港へ向かい、尼崎からくる青年と空港ロビーで待ち合わせました。その後、空港近くのレンタカー会社からワゴン車に乗り、箱崎ふ頭へ移動して軽トラックや荷物を受け取って福岡市内で支援物資を購入しましたが、初めて走る福岡市内なもので、目指す店舗にたどり着くのに予定以上の時間を要しました。それでも昼頃にはすべての支援物資を購入して、いざ!熊本へ!!
九州自動車道を走り熊本県境を超えた途端、見渡す家々の屋根にブルーシートが目立つようになり、自動車道の被害もあって、熊本市内近辺の自動車道ではかなりの渋滞がありました。午後4時ころに美里町の「RQ九州美里」の事務所に到着し、支援物資と軽トラックを引き渡しました。その後、ボランティア参加者とのミーティングに参加し、翌日のコーヒーサービスについての打ち合わせ等を行った後、久留米市のホテルまで戻て21日のスケジュールは終了です。
 翌22日は宇城市役所に隣接している「ウィングまつばせ」ホールで避難生活を続けている被災者の皆さんにコーヒーサービスを行いました。日中の避難者数は80数名ほどだそうですが、コーヒーは80杯ほど出ましたので、避難所にいたほとんどの方がコーヒーを楽しんだようです。「避難所にもコーヒーはあるんだけど、インスタントなのよ。やっぱし本物のコーヒーは香りが良いねぇ」と大変好評をいただきました。
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「ウィングまつばせ」の玄関前歩道は地震の影響で波打っています。
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避難所の玄関わきで強い日差しを避けながらコーヒーを提供しました。
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熊本地震で最も深刻な被害を受けた益城町の様子。場所は益城町役場のすぐそばです。余震が続いているため被災証明のための調査も手が付けられず、未だにがれきは撤去されないままです。

今回の支援物資
・中古軽トラック 1台(スズキキャリー4WD 2018年4月まで車検付)
・中古プリンター1台(エプソンカラリオEP805 インクセット含む)
・コピー用紙(A4)2箱
・飲料水12箱 ・紙皿容器等
・銀マットシート20枚 ・寝袋5個 ・テント3張り ・蚊帳テント1張り 
・ランタン等6台 ・乾電池 ・ブルーシート10枚
・土嚢袋 100枚 ・タフロープ ・布ガムテープ
・もぞう紙4色計50枚 ・油性マーカー等10本
・コーヒー用具(カセットコンロ2台・やかん・ポット・カセットガスボンベetc)
・支援金3万円(軽トラの当面のガソリン代として)

 東日本大震災もそうですが、復興・復活には長い長い苦闘が続きます。これからも出来るだけ熊本地震で被災した皆さんと寄り添えるような支援を続けていきたいと思っています。



負んでねっどっ!くまもん!

4月28日、雨の中を熊本の被災地に届ける軽トラックを納車してもらいました。
早速、翌日から熊本地震の被災者を想いながら熊本県のゆるキャラである「くまもん」のイラストを運転席のドアに描き込みました。当初は宮城県のゆるキャラ「むすび丸」の甲冑姿を描こうと思ったのですが、使う色も多く、描くにはかなり難しいのであきらめまして、左右違うデザインの「くまもん」を描きました。
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風は冷たく感じるもののさわやかな太陽の光を浴びながらの作業です。
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「負げんでねぇっどっ!ん 宮城熊本」のステッカーもつくりました。
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この軽トラックの車体に、東日本大震災の被災地である女川町の女川中学校の生徒たちに、震災支援のお礼と熊本地震被災者の励ましの思いを込めてメッセージを書き込んでもらう予定です。また、「被災地でのガソリン代の足しに」と援助金を提供していただいた皆さんのお名前も書きこみます。
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